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綾部市

今回は京都府綾部市の志賀郷に行ってきました。九州自動車道から山陽道に入り、姫路で一泊。
夕方5時近くに姫路に到着。まだ明るいので姫路城に行くことにした。行ってみると天守閣は
見えず、大きな建物に囲まれていた。あとで解ったのだが、瓦の補修だった。それにしても
大がかりな工事の様でした。建物に入るとエレバーターで7階の天守閣最上部の屋根瓦の補修
場所に行き、そこからまた下りてくるという見学経路でした。次の日の朝、綾部市に向かう。
志賀郷には”シガサトの七不思議”という奇跡が今も尚言い伝えられています。

詳細は”地球の謎解き/ソラからの伝言”のH/Pのヤマタイコク物語に書かれています。
  http://sora.ishikami.jp/stories/yamataikoku.html

以下、抜粋
それが【シガサトの7不思議】と呼ばれる奇跡です。
(注*京都府綾部市志賀郷に伝わる七不思議)

1)白藤(藤波神社の藤は正月に白藤が咲いた)
2)白萩(若宮神社=山彦が祭られる?神社の萩を白くした)
3)ゆるぎ松(山彦達が逃げて行った所の松が風も無いのに揺れる)
4)しずく松(同じく山彦が逃げていった場所の松が雨が降らないのにしずくが落ちる)
5)タケノコさん(竹の子の出る季節でもない2月4日に竹の子が出てきた)
6)みょうがさん(みょうがの出る季節でもない2月3日に芽が出てきた)
7)ご用柿(秋に赤くならないでお正月に赤くなる。御用、御用と追っ手がきて恐怖の為に
  柿が青いままだったから)又、大男の山嵐が夜中に悪い事をする伝説は、ヤマトが大き
  な山彦の子孫を悪者に仕立てあげ伝えさせたのです。その子孫が源義経であり山彦の
  子孫になります。
今回は”ゆるぎ松”と”しずく松”のところに行ってきました。
次の日、明石の五色塚古墳と生石神社に寄って帰りました。


5姫路城の堀
姫路城の堀

4姫路城最初の門
最初の門です

6菱の門
菱の門

20隠れた天守閣
この様に天守閣はスッポリと建物に覆われていました。

9天守閣から姫路駅方面
建物の最上階から姫路市内を見る。正面が姫路駅。

10天守閣の瓦替
天守閣の最上部の屋根で、瓦は取り外されていた。普通だったらこんな所から見ることは
できない。

10天守閣の下
その下


綾部市 志賀郷の”ゆるぎ松”と”しずく松”

27志賀郷 森改
”ゆるぎ松”と”しずく松”の遺跡ははこの山の中にあった。

23ゆるぎ松
ゆるぎ松はこの小高いところにあったらしい。もちろん今は植え替えられているはず。

25ゆるぎ松アップ
松の横に小さな石があるが、この石に意味があるようです。写真を見ていると白い二つの丸は
まるで目玉の様に見える。


22しずく松
しずく松。ここにも石が存在します。


五色塚古墳です。
28五色塚古墳下から
30五色塚古墳 上から
32五色塚古墳最上段から



生石神社の水に浮いている様な大きな石です。下の写真の山からここに動いてきました。
34生石神社 テレビ後ろ
33生石神社 浮く石
37石が動いてきた山
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龍岩寺

先日、TVで宇佐市院内町にある龍岩寺の奥の院にある木像を放映していました。
古い木像なのにあまりにも傷んでないので不思議に思い行って来ました。
清浄山龍岩寺は奈良時代の天平18年(746)僧行基によって開山したといわれている。
行基菩薩草創の全国49院の一つであることから、“院内”の地名が起こったという伝説
があります。この“院内”が院内町の由来となったようです。
 天正年間(1573?1592)にキリスト教を信じた大友宗麟による領内仏寺の焼討ちで、
この寺も焼失したが、奥の院は幸い難を逃れその本尊も今に残っている。

三体の仏像(左より不動明王座像、阿弥陀如来座像、薬師如来座像)
 昭和24年5月30日 国宝に指定

奥の院礼堂
 昭和29年9月17日 重要文化財に指定

仏像の優秀さと礼堂の優美さは国内稀有の文化財であり、大分県では富貴寺とともに重要
な存在である。
◆ 拝観料:200円


まずは、院内町のおやつの店に寄った。ここは近所のおばちゃん達が饅頭を作ったり、中では
喫茶もやっている。まだ朝が早かったので種類が少なかった。ここのカンコロ餅がとても美味しい。
おやつの店饅頭PC112290

おやつの店PC112293

車の中で饅頭を食べながら約20分で龍岩寺に到着。龍岩寺の入り口。
龍岩寺入り口PC112300

階段を上ると寺務所があり、ここで拝観料200円を払って、階段を上って奥の院へ。
参道下の階段PC112302

こういう石の階段が続いている。
参道途中中ごろPC112311

しばらく上ると、岩をくり貫いた様な大きな穴があり、これが参道となっている。
ここを通らないととても奥の院のいは行けない。いかし平安期にこの穴を掘ったとは思えない。

入り口
参道途中のトンネル入り口側PC112306

反対側から
参道途中トンネル出口側PC112418

ここから急な上り坂となり、約10分で奥の院が見えてきた。
参道途中到着PC112316

これが奥の院だ。三間に二間で床板を懸崖の上に造り敷き、屋根は片流れの板葺きです。
奥の院の外観2PC112322

反対側から
奥の院外観3PC112326

奥の院礼拝堂の中。岩窟の面とこの屋根との間が相当あいているので青白い散光が
仏像の上半身にあかるくあたり、幽すいな環境にあって、幻想的な効果をつくり出している。
奥の院の中PC112328

3体の仏像です。風雨にさらされているのに、実際に見ても平安期つくられた仏像とは思えないほど
傷んでいません。
三体の木像1PC112333

礼拝堂の中からは格子が邪魔して撮影できないので、屋根の上に上がって撮影。
三体の木像2上からPC112348

仏像の説明
木像看板PC112371

礼拝堂の上から撮影
奥の院上からPC112363

きざはし・・・とよばれています。
きざはし 上からPC112360

きざはしの説明
階(きざはし)看板PC112372

今度は礼拝堂を降りて、下から礼拝堂を撮影。
奥の院下から1PC112368
奥の院下から2PC112377

帰りにギョットする様な光景を見た。岩にへばりついた木の根っこ。
ここら中にこんな木の根っこが沢山あり異様な感じがした。
岩の木の根っこPC112409

鎌倉巡り

10月の連休で鎌倉の方へ行ってきました。初日朝早く地元の駅を出発、小倉駅経由で
一路東京へ。その日は東京で1泊。翌日大井町駅より品川経由で鎌倉駅に到着。
ソラ仲間の皆さんと鎌倉巡り開始。
 鎌倉駅→釈迦堂切り通し→鶴岡八幡宮→鎌倉大仏→長谷寺→極楽寺
江ノ電で鎌倉駅に戻り、品川駅から新幹線で帰路に。帰り着いたのは午後11時過ぎでした。

早朝の駅に電車が到着。カメラのピント合わせを追従させ連写。

ソニック中津 朝1 PA101650
ソニック中津 朝2 PA101653

小倉駅にて約30分の待ち合わせ。その間にいろんな新幹線を撮影。
いろんな新幹線2PA101664
いろんな新幹線3PA101667
いろんな新幹線4PA101672

待つこと30分、やっと自分の乗車する”のぞみ号”が到着。
いろんな新幹線1PA101654<

約5時間半、品川駅に到着。この日は大井町にて宿泊。
翌日、大井町駅→品川駅→鎌倉駅へ。

朝7時、大井町を出発。
大井町駅CIMG0002

鎌倉に8時半に到着。駅の廻りを散策。
鎌倉駅PA111696

鎌倉駅からバスに乗車。釈迦堂切り通しに向けて歩く。しばらく山道をあること到着。

釈迦堂切り通し。大雨により現在通行止めになっている。
切り通し1CIMG0009
切り通し2PA111711

次に向かったのが鶴岡八幡宮。バスに乗って近くの停留所まで行く。
ここには以前行った事があります。本殿左横に武内宿禰を祭っていますね。
八幡宮の総本宮である宇佐神宮では本殿ではなく、遥かに手前の隅っこに黒男神社
として祭られています。この違いは一体なんでしょう。


八幡宮の八の字は2羽の鳩だそうです。
本殿 八の字PA111736

本殿から見下ろす。
本殿からPA111732

本殿を横から。
本殿 横からPA111740

鶴岡八幡宮から鎌倉駅に向かう途中いろんな店が立ち並ぶ路地を通りました。
その中でも煎餅屋とソフトクリーム屋が気になるが、我慢をして駅に急ぐ。
鎌倉駅に着いて、そこから江ノ島電鉄に乗り換えて、鎌倉大仏を見に行く。
さあ憧れの江ノ電・・・だと思ったが、連休とあり人人人で溢れかえっている。
せっかくの江ノ電もサッパリだ!!

鎌倉駅に到着した江ノ電
江ノ電CIMG0016


長谷駅で降りて鎌倉大仏へ。どこの人で溢れている

鎌倉大仏(後ろから)。背中にある二つの窓には謎があります。
大仏後ろPA111758

大仏の内部から前面
大仏内部から前面CIMG0021

大仏内部から頭部
大仏の内部から頭部分CIMG0019

大仏を後にして長谷寺に向かう。

長谷寺にあったオレンジ色の彼岸花。赤と白は良く見かけるけど、オレンジは初めて。彼岸花PA111780

一輪だけ咲いてました。
彼岸花1輪PA111765

長谷寺の境内にあった池。シャッタースピードを遅くして水が糸を引くように撮影。
長谷寺池PA111784

帰りの新幹線の時間が迫ったので、江ノ電で鎌倉へ。相変わらずギューギュー詰め状態。
鎌倉から品川まで行って、少し時間があったので弁当を買った。
ビールを一杯といきたいところだが、やはり我慢しよう。
品川駅発16:47分、まだ時間があるので、また新幹線を連写。

品川新幹線PA111814

今回巡ったルートです。

鎌倉調査

長い電車の旅もおわり家に辿り着いたのは夜の11時過ぎでしたが、とても楽しい二日間でした。

古墳巡り

大分県宇佐市にある風土記の丘(公園になっている)に行って来ました。
よく整備されていて、芝生はゴルフ場を思わせるようです。
近くには温泉もあり、家族で1日十分遊べます。
総面積:19,1551m2 の中に県立歴史博物館や前方後円墳が6基もあります。
(まあ、相変わらず、地方豪族の墓所と言われていますが・・・)
下の地図の左下あたりから右上の歴史博物館へと、古墳を見ながら移動して行きました。
古墳といっても森の中にあるようなものは、よくわかりません。また後円部だけが残って
いる古墳もありました。

宇佐風土記の丘
aa案内図PA021579


まずは、福勝寺古墳です。
福勝寺古墳看板」PA021573

中央の小高い部分が後円部です。木が多くてわかりづらいですね。
福勝寺古墳PA021574



次が車坂古墳と角房古墳です。

案内図
角房古墳看板3PA021578

車坂古墳
車坂古墳看板PA021583

どこが古墳やら!!
車坂古墳PA021584

車で少し進むと、ゴルフ場のような芝生の広場があります。
そこに円墳のような古墳ですが、かって前方部があった立派な前方後円墳です。
角房古墳です。

角房古墳看板PA021586

後円部のみ残っています。
角福古墳PA021587

公園の中を車で走り、県立歴史博物館へ到着。ここには赤塚古墳や、小さな古墳群(?)が
あります。

赤塚古墳の案内。
拡幅古墳看板2PA021596

赤塚古墳看板PA021600

赤塚古墳です。
赤塚古墳(あかつかこふん)は、全長57.5メートル、後円部の直径36メートル、
高さ4.8メートル、前方部の幅21メートル、高さ2.5メートルの前方後円墳。
3世紀末に築造された九州最古の前方後円墳であるとされる。

石棺の中から中国製の三角縁神獣鏡4面、三角縁リユウ虎鏡1面、他鉄刀片などが
見つかっており、福岡県石塚古墳などの鏡とともに初期大和政権と地方豪族との
結びつきを示す資料とされている。



本来古墳は権力者の墓などではなく、イシカミであり、この中で
人間やイシジンがつくられていたのを後世の人々に知らせまいと
封印するために大和政権と地方豪族が結託し、地方豪族の墓ら
しく石棺の中にこの様な品物を入れたと思われる。

赤塚古墳2PA021601

この赤塚古墳の上から、近くにある小さな古墳(?)を撮影。
”赤塚方形周溝墓群”となっていて、5,6基が1グループを構成している。また宇佐平野の
首長の墓であるとされている赤塚古墳の廻りにそのグループが点在していることから、
この首長を支える階級の人たちの墓とされている。
赤塚古墳上から小古墳PA021621

小古墳2PA021607

小古墳1PA021606

小古墳群1PA021609

小古墳群2PA021611

方形周溝PA021602

宇佐平野にはまだ沢山の古墳があったそうですが、第二次世界大戦時ここの宇佐海軍航空隊
ができた時、整地のために多くが壊された様です。
宇佐風土記の丘の周辺地図に、古い航空写真をもとに宇佐海軍航空隊跡地を
書き入れてみました。

宇佐航空隊

宇佐海軍航空隊
 ↑クリック

>宇佐海軍航空隊は1939(昭和14)年10月1日、対艦攻撃機などの操縦士養成のための練習航空隊(錬成航空部隊)としてつくられ、約5カ月間の訓練を終えた17、8歳の若者が次々と出撃していった。
>米軍の無差別空襲を受けるようになった1945(昭和20)年の戦争末期には、沖縄近海に結集した米 機動部隊を撃破するため、宮崎県の赤江飛行場(ここにも掩体壕が残っている)から「銀河」や人間特攻 兵器「桜花」とその母機(桜花をつった1式陸上攻撃機)が移動してきて特別攻撃隊(特攻)の基地とな り、約3カ月という短い訓練の後、敗戦までの4カ月の間に、計81機・154人の若者たちが南の空に 飛び立ち、帰らぬ人となった(宇佐海軍航空隊 「身代わり特攻」どげんも言えん)。

石橋の町

大分県宇佐市の院内町には多くの石橋があります。
その中で最も大きく、綺麗な鳥居橋に行ってきました。
写真を撮っていると、ガイドさんの様な方がこの橋のスゴサを語ってくれました。

鳥居橋 ←クリック
この様に紹介されています。
 石橋の貴婦人と言われて大変美しい姿をしている。
 昭和26年10月の”ルース台風”で水かさ12Mを越え、町内242戸の家屋が全壊流失したり、
 豊州鉄道の第 2駅館川橋架までも流失したにもかかわらず鳥居橋は悠々と残った。それは地盤や
 水流に応じた設計でそれぞれの 橋の厚みが異なり5つのアーチも経間がまちまちだったのである。
 改めて石橋の強さを教えられる話である。
  ・形式:5連石造アーチ
  ・橋長:55.15m
  ・橋高:14.05m
  ・完成:大正5年(1916年)
※鳥居橋の掲示板には平成9年9月16日の台風で増水した時の写真が掲示されています。
 よく耐えたものです。
 ガイドさん曰く”橋脚の上流側の先端は船の先端の様に尖っていて水の抵抗を少なくする
         様に設計されている”

石橋を保存するためにこの橋の横に大きな橋ができていますが、そこから撮影しました。
橋脚の細さがよくわかります。
正面1CIMG0016

五連のアーチが大変綺麗ですね! 橋脚のスパンはみんな違う・・・との事です。
 正面横CIMG0031

反対側から撮影。こちら側には、この鳥居橋を腰掛けて見れる様に、屋根つきのテーブルと腰掛け
が設置されていましたが、平成9年の台風の時の増水で流れてしまいました。
 公園P1011213

川に下りて撮影。橋脚の先端が尖っているのがわかります。
 川からP1011214

国道側の竹藪から撮影。
 竹2P1011265
 竹P1011256

駐車場にある掲示板。平成9年の増水した時の写真が掲示されています。
また、ここには石橋巡りの案内図もありました。
 掲示板CIMG0034
 石橋巡りCIMG0025

院内 道の駅の近くにある荒瀬橋です。
 荒瀬橋P1011281
 看板P1011291

荒瀬橋の上から下流を撮影
 下流P1011294



院内町石橋MAP ←クリック
 驚きです。こんなによく造れてものだと関心します。
 

Appendix

プロフィール

ワッキーストーン

Author:ワッキーストーン
原子は原子核とその周りの電子から構成されています。
そして、それぞれに意識があります。それは原子そのもの
に意識があるという事です。つまり石や山や草木にも意識
があるという事になります。

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